【天声人語】谷川俊太郎さん逝く(20241120)

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图片[1]-【天声人語】谷川俊太郎さん逝く(20241120)-日本!日本语

詩人のねじめ正一さんが、谷川俊太郎さんと即興の「漫才」を演じた。名うての2人による言葉の勝負。なぜか夕日に扮した谷川さんに、ねじめさんがインタビューをするという趣向なのだが、ここぞ腕の見せどころ。変化球を投げつけた。最近、地平線と婚約したそうですね▼

 

「あれ、どうして知ってるの」と谷川さん。「でもさ、入道雲のほうがよかったかな。地平線て一直線で素直そうに見えるけど、夜になると蝶々(ちょうちょう)結びになってひねくれるんだ」。瞬時に選んだ言葉のセンス。真骨頂を見た、とふり返っている▼

 

享年92。谷川さんが亡くなった。記憶に残る作品はいくつもあるが、一連のことば遊びが懐かしい。〈かっぱかっぱらった/かっぱらっぱかっぱらった/とってちってた〉(「かっぱ」から)。意味なんてなくてもいい、と詩の楽しさを教えてくれた▼

 

言葉の力と格闘してきたからこその境地だろう。言葉への疑いを隠さなかった。「みんな、自分には言いたいことがある、それを表現できるって信じているんじゃないかな」▼

 

思いが深ければ、なおさらである。盟友の大岡信さんが亡くなった時、本当はヒトの言葉で君を送りたくない、としたためた▼

 

本人の詩「じゃあね」でお別れしよう。〈どこか見知らぬ宇宙のかなたで/また会うこともあるかもしれない/じゃあね/もうふり返らなくていいんだよ/さよならよりもさりげなく/じゃあね じゃあね……〉。二十億光年のかなたへ、すっと旅立ってしまった。

背景紹介

詩人の谷川俊太郎さん死去 92歳 「生きる」「二十億光年の孤独」

「生きる」「二十億光年の孤独」など、易しくも大胆な言語感覚で幅広い世代に愛された、戦後現代詩を代表する詩人の谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが13日、老衰のため死去した。92歳だった。

1931年、哲学者・谷川徹三の長男として東京で生まれた。16歳から詩作を始める。52年に第1詩集「二十億光年の孤独」を刊行してデビュー。宇宙の壮大さを後景に個人の内面をとらえた新鮮な表現が注目された。53年に詩誌「櫂(かい)」の同人となり、茨木のり子や大岡信らと共に活動した。

散文で世界を正確にとらえようとした作品集「定義」(75年)や、日常会話で身近な風景を描く「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」(同)、詩や言葉を見つめ直した「世間知ラズ」(93年、萩原朔太郎賞)などで詩の領域を広げ、日本語の可能性を極めた。

詩壇で高く評価された一方、軽快なリズムが楽しい「ことばあそびうた」(73年)、子どもの心を探る「はだか」(88年、野間児童文芸賞)といったひらがなの詩は子どもも夢中にさせた。「朝のリレー」「生きる」など国語の教科書に掲載された詩も多い。

このほか、「日々の地図」(82年、読売文学賞)、「女に」(91年、丸山豊記念現代詩賞)、「私」(2007年、詩歌文学館賞)、「トロムソコラージュ」(09年、鮎川信夫賞)など受賞歴多数。96年に朝日賞。詩は海外でも広く翻訳され、11年には中国の中坤国際詩歌賞を受賞した。

翻訳も多く手がけ、レオ・レオニ「スイミー」や、スヌーピーが登場するシュルツ「ピーナッツ」は長く読み継がれている。75年に「マザー・グースのうた」で日本翻訳文化賞。

ラジオドラマ、劇作、校歌の作詞など、活動は多彩だった。62年、童謡「月火水木金土日の歌」でレコード大賞作詞賞。63年1月に始まったテレビアニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞を手がけた。東京オリンピックの記録映画(65年、市川崑監督)に脚本で参加した。

16年から本紙で書き下ろしの詩「どこからか言葉が」を連載していた。

 

THE END
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