織物の魅力に引き込まれてから、四半世紀になる。赴任先のフィリピンで、パイナップルの葉の繊維を使った「ピーニャ」と呼ばれる布の織り手を訪ねたのがきっかけだった。半透明でふわりと軽いが、糸が切れやすい。職人の繊細な技に舌を巻いた▼
インドネシアには、「イカット」という多彩な模様の絣(かすり)があった。忘れられないのは、東部の島で会った女性だ。小ぶりの葉を折りたたみ、ぱくぱくと噛(か)んで広げるとあら不思議、幾何学模様が浮かび上がった。噛むたびに変わる模様を糸で再現するという▼
日本の織物にも興味がわいて調べるうち、染織家の志村ふくみさんの紬(つむぎ)織を知った。植物で染めた紬糸で織る着物や帯は美しくて謙虚だ。個展などで作品に接し、秘めた強さも感じるようになった▼
人間国宝の志村さんは今年9月、100歳を迎えた。記念する特別展が東京の大倉集古館で開かれている。染織の道に入ってから昨年の作品まで、約70年の歩みがわかる。34歳で初めて織り上げた着物は藍色の抽象画のような趣がある▼
志村さんが愛する藍は、甕(かめ)の中で蓼藍(たであい)の葉を発酵させてつくる。色は日々変化し、濃紺から浅葱(あさぎ)色へと薄くなっていく。最後に、ごくまれに現れる「かめのぞき」という名の淡い水色を今回、初めて見た▼
蚕の糸を植物で染め、手で織る。随筆家でもある志村さんは、織物の始まりの糸について、最高なのはいきいきとして張りのある凜(りん)とした糸だと書いている。そんな糸のような人になりたい。
背景資料
人間国宝・志村ふくみとは
志村ふくみは、滋賀県は近江八幡に生まれ、今もなお精力的に活動を続けている染織家・随筆家です。31歳のとき、母である小野豊の影響で柳宗悦の民藝運動に参加し、織物を始めました。
1957年に第4回日本伝統工芸展に初出品で入選すると、それ以降第5回で奨励賞、第6回で文化財保護委員会委員長賞、第7回で朝日新聞社賞、第8回で再び文化財保護委員会委員長賞と、順調に受賞を重ねます。1964年には資生堂ギャラリーにて第1回目の作品展を開催し、その後日本各地で作品展を開催します。
1968年に、京都市右京区嵯峨野に工房を構えます。染織家としての経歴ばかりが目立ちますが、随筆家としての才能も認められており、1983年には「一色一生」で朝日新聞社主催の文学賞である大佛次郎賞を受賞しています。
1990年には、農村の手仕事だった紬織を「芸術の域に高めた」との評価で、紬織の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。執筆活動も継続しており、1993年には「語りかける花」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。
娘の洋子も母同様に染織の世界に進んでおり、2013年には京都市左京区岡崎に、染織の世界を学ぶ芸術学校である「Ars Shimura(アルスシムラ)」を2人で設立しました。2015年にはArs Shimuraの2校目を、京都市右京区嵯峨に開校しています。
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