(2)
岸本小学校バザー開催に向けてのお願い
岸本小学校では以下のようにバザーを予定しています。
日時 10月24日(日) 10~14:00
場所 岸本小学校グラウンド
つきましては、バザー開催にあたり地域の方々に品物を提供(注)していただきたいと存じます。衣類・日用品・食料品・食器・かぱんなどを受け付けておりますが、いずれも未使用のものに限らせていただきます。また、勝手ながら家具・電気製品・おもちゃは受け付けておりませんので、ご遠慮ください。
また、ご近所でしたら、以下の番号までお電話いただければ、品物を取りにまいります。バザーの売り上げは国際協力団体へ寄付されます。ご協力をお願いいたします。
電話:003-333-2211(9;00~ 17:00)
岸本小学校バザー係:山田
(注)提供する:自分の持っている物を姓の人のために出す
(56)バザーに出せるのはどれか。
箱に入った未使用のへアドライヤーと説明書
電気ボットと一度だけ使用したコーヒーカップ
一度しか使っていない新品同様のお皿のセット
バーゲンセールで買ったが一度も着なかった服
(3)
音葉というものは、それが無意酸のうちに た重姿な意味を持っているものである。それだからこそ、精神分析学ではふと口 をついて出る言葉を、精神分析の大切な手がかり(注1)にしているのだ。日本の古いことわざにも、「言葉は心の使い(注2)」とある。何気なく(注3)口にした言葉であっても、その言葉はその人の心のメッセージであり、正直に本心をつたえているのである。
(森本哲郎『日本語表と表」による)
(注1)手がかり:ヒント
(注2)心の使い:ここでは、心をつたえるもの
(注3)何気なく:深く考えずに無意識に
(57)筆者によると、無意識のうちに使われる言葉はどのようなものか。
相手の心につたわるもの
相手の心を動かすもの
本当の心を表すもの
本当の心を秘すもの
(4)
私が親と同居していた頃、既に引退した父が不機嫌になる種があった。それは父 宛に届く郵便物の量が、息子である私宛に届く郵便物より少ないことであった。私宛の郵便物といっても大方(注1)がダイレクトメール(注2)で、開封もせずにゴミ箱行きになるものが多かったのだが、それでも父は不機嫌になった。
届く郵便物の量は、確かにその人の社会的な活動の広さと関係している。たとえ読まれることのないダイレクトメールであっても、それが届くということは、その人が世の中に存在している証拠である。
(外山知徳『家族の絆をつくる家一失敗しない住まいづくりのための30請」による)
(注1)大方:大部分
(注2)ダイレクトメール:個人に直接送られてくる広告
(58)筆者である「私」は、なぜ父が不機嫌になったと考えているか。
父に届く郵便物が引退してから少なくなって、開封する楽しみが減ったから
父に届く郵便物が私のより少なくて、存在感が薄れたと父が感じているから
父に届く郵便物の中身を確認しないで私が勝手に捨ててしまったから
父に届く郵便物のほとんどが役に立たないものばかりだったから
(5)
人材の評価や選抜の方式は、社会の根本的な活力を規定する最も重要なファクタ ー(注1)である。しかもその人材の育成には時間がかかる。競争のない社会、公正 な評価が通らない組織は、長い目で見れば必ず衰退する(注2)。だからこそ、いつの時代でも、どの組織でも、優秀な人材の獲得に躍起になり(注3)、人材の育成に多大の努力を注ぐとともに、いかに公正な容価のシステムを組み込むのかという点に強い関心を払ってきたのである。
(猪木武徳『自由と秩序ー競争社会の二つの顔』による)
(注1)ファクター:要素
(注2)衰退する:衰える、弱くなる
(注3)躍起になる:必死になる
(59)筆者は、人材が公正に評価されないと組織はどうなると述べているか。
短期間で人材を育てられなくなる
優秀な人材を獲得できなくなる
組織の活力を維持できなくなる
組織への関心が薄くなる
(1)
僕は学校が好きだった。毎日わくわくしながら学校に通ったものだ。学校にはいやな奴も大勢いたが、好きな友達がそれ以上沢山いたからである。向こうは僕のことをどう思っていたのかは分からないが、構わなかった。僕はかってに彼らのことを友達だと思っていたのである。
友達を作る、とよく言う。あの頃先生や親は僕によく「いい友達をいっぱい作りなさい。」と言っていた。僕は彼らがそう言うたびに①「それは違う。」と心の中で反発(注1)したものだった。友達は作るものじゃない、と今でも思っている。 友達を作るなんて第一友達に対して失礼だと思った。第二に作った友達は偽物のような気がしたのだ。
僕は友達は作るものではなく、自然に出来るものなのだと思う。僕にも友達が出来なくて辛い時期があったけれど、僕は決して友達を作ろうとはしなかった。つまり無理して誰かに合わせたりしてつきあうことはなかったのだ。僕はいつも自然にしていた。大人になってから、ああ、あの頃あいつは僕の友達だったのだな、 と思い知らされた(注2)奴もいた。その頃は喧嘩ばっかりしていたからである。後になってそうやって分かる友達もまたいいものだ。
(中略)
大人になった今、僕は学校を失ってしまった。毎日楽しみにしていた学校はもうない。社会にでてから今日まで、僕は孤独に仕事をしてきた。それでも一生懸命仕事がやれたのは、ふりかえると僕には素晴らしい仲間たちが大勢いたからなのだ。②彼らと過ごした自然な日々は、僕の人生において大いなる大地となっている。そして僕はそこからすくすくと伸びる一本の木なのだ。僕の根っこは彼らと繋がり、僕は空を目指している。
(辻仁成『そこに僕はいた』による)
(注1)反発する返抗して、受け付けない
(注2)思い知らされる:強く思わされる
(60)①「【それは違う。】」とあるがどういうことか。
本当の友達は、決して意図的に作るものではない
新しく友達を作らなくても、すでに友達は十分にいる
いい友達を作ることは、それほど簡単なことではない
互いに友達だと思えなければ、本当の友達とは言えない
(61)②【彼ら】とは誰のことか。
学校にいた頃に出会った友達
学校や住事で繋がっている友達
一緒に仕事をしてきた人たち
人生で出会ったすべての人たち
(62)大人になった筆者にとって、友達とはどのような存在か。
そばにいて見守ってくれている
今でも心の支えになってくれている
孤独になったときこそ思い出される
今も一緒にいて多くの経験を共にしている
(2)
人間の顔には、いろいろな特徴があります。毛がないというのがその一つ、そしてもう一つの特徴は、顔が非常に柔らかいということです。特に口が柔らかいというのが人間の顔の特徴です。もともと口の役割は、食べ物を食べるということでした。しかも口でその食べ物をつかむことが必要ですから、顔の中でも口が一番前にないと食べられません。したがって、ほとんどの哺乳類(注1)では口が前にとび出しています。
口にはもう一つの役割があります。相手を攻撃する道具としての口です。相手に噛みついて攻撃する。そのためにはやはり口は一番前にとび出ていて、しかも固くなければいけません。一番前にとび出ていて固い、それが普通の動物の口の特徴なのです。
ところが、人間では、直立歩行をするようになって、口の役割が変わりました。なぜなら、食べ物をつかむということは、直接口を使うのではなくて、手でできるようになったからです。食べ物を手でつかんで口のところまでもってくることによって、口は必ずしも( )。人間の口が進化(注2)の過程でだんだん引っ込んできたのはそのためです。
さらに、直立歩行で手が自由になったために、相手への攻撃も手を使ってできるようになりました。その結果、攻撃の道具としての口の役割もだんだん失われてきました。必ずしも固い必要はない。柔らかくてもいい。こうして、口の周りがどんどん柔らかくなっていったのです。
(原島博 「演学への招待』による)
(注1) 哺乳類:子を乳で育てる動物
(注2)進化:生物が発達によって長い間に変化すること
(63)人間以外の哺乳類の口について述べているのはどれか。
口は顔の中で一番固いが、人間と同じように進化して引っ込んできた
相手を噛んだり食べ物をつかんだりするため、口は固く前にでている
食べ物を他の動物より早く口に入れるため、口が一番前に出ている
進化の過程で口が必ずしも相手を攻撃する道具ではなくなってきた
(64)( )に入る文として適当なものはどれか。
一番前にとび出ていなくてもよくなりました
固くて引っ込んでいなくてもよくなりました
相手を攻撃するためのものではなくなりました
食べるためだけに使うものではなくなりました
(65)人間の口が変化した理由について、正しく説明しているものはどれか。
人間の口の周りは動物と比べて柔らかく、攻撃の道具にならなかったから
直立歩行で手や足を使って相手を攻撃することができるようになったから
哺乳類は手を使って食べるようになり、口でつかむ必要がなくなったから
食べ物をつかんだり相手を攻撃したりするとき手を使うようになったから
(3)
アサヒビールは子供の誕生日や運動会などのために休暇を取れる「子育て休暇」 を導入した。中学校入学前の子供を持つ社員が対象で、子供が一人の場合は年5 日、二人以上の場合は年10日まで休める。育児・介護休業法では、未就学児(注1)の病気・けがの看護を目的とする休暇の取得を認めている。アサヒは要件 (注2)を育児全体に広げ、社員の子育てを後押しする。
新制度は9月1日付で新設した。子供が3歳未満なら有給、3歳以上なら無給で休暇を取れる。理由は子供の誕生日や入学式のほか、PTA (注3)への参加など「育児全般に関する幅広い仕由」とする。これまでは看護で休む際にも診断書や薬袋のコピーなどを証拠として提出する必要があったが、新制度は申請するだけで利用できる。
新制度で育児中の女性社員の負担を軽減すると同時に、男性社員の育児参加を促す、育児・介護林業法に基づく休暇は育児をする女性のほとんどが取得しているものの、男性の取得率は3%にとどまっている。 同社には最大2年間を無給で休める育児休業制度もあるが、利用できる制度の選択肢を増やす必要があると判断した。
(「子育て休暇」2007年9月5日付日本経済新聞による)
(注1)未就学児:小学校に入る前の子供
(注2)要件:必要な条件
(注3)PTA:学校の先生と父母の会
(66)「子育て休暇」の目的は何か
社員の子育てを支援することで、日本の人口減をくい止めること
子供が未就学児のうちから親が教育に関心を持つようにすること
無給でも育児休暇を取る社員を増やし、生産の能率を上げること
条件をゆるくし、社員がもっと子育てしやすいように助けること
(67)「子育て体暇」を取るのに必要な条件はどれか。
夫婦ともにこの会社に勤めている社員
中学校入学前の子供がいる男性社員
小学生の子供が二人以上いる社員
小学生までの子供がいる社員
(68)この休暇を取るときに、どんな手続きが必要か。
休暇の理由を証明する診断書などを添えて申請する
学校の行事等の通知文書のコピーを添えて申請する
提出する証明書などは不要で、申請すればよい
子供の年齢の証明書を添えて、申請すればよい
A
逃げたくなるほどつらいことがあっても、逃げられない人がいる。スピードや効率性(注1)ばかりを求められ,自己責任が声高(注2)に問われる現代社会に、とことん追い詰められ(注3)ながらも、過剰なまでに踏ん張り(注4)続けている人がいる。
そういう人たちは、「耐える」「踏ん張る」という選択肢のほかに、「逃げる」という選択肢を持っておくことも大切だと思う。
どうしようもない時には、逃げればいい。
いつもいつも逃げてばかりいては、どうにもならないけれど、逃げるというカードを1枚だけ持っておいてもいいのではないか。
(河合 日経ビジネス 2011年3月7日取得により)
B
「逃げることは負けることだ」「逃げることは恥だ」という考え方がある。一方、現代は「自分の好きな用に生きる」ことが許され、「逃げる」ことも否定されなくなってきた。そのため、仕事などで壁にぶつかったとき、自分の選んだ生き方は正しかったのが、もうやめた方がいいのではないかと迷い、今自分が置かれている道から逃げたいと思う人も増えている。
「逃げたい」と思う人はそこでよく考えてほしい。「逃げる」ことが解決の道なのだろうかと。どんな仕事も大変なときはあり、時が解決してくれることもある。逃げたいと思ったときこそ、その気持ちとしっかり向き合うことが大切だ。それでも逃げることが正しいと確信したなら、逃げることは負けることではなくなる。
(注1)効率性:ここでは、一定の時間に水準の高い多くの仕事ができること
(注2)声高に:声を大きくして
(注3)とことん追い詰められる:逃げる道のないところまで追われる
(注4)跡ん張る:ここでは、我慢する
(69)AとBの文章で共通して述べられていることは何か。
どんな仕事でも逃げたいと思うことがある
つらいと思ったら迷わず逃げても構わない
逃げることは必ずしも悪いことではない
逃げるという選択をすれば楽な生き方ができる
(70)逃げたいと思うことについて、AとBはどのように述べているか。
Aは逃げる決断を急がないほうがよいと述べ、Bは逃げることは負けることだ と自分に言い聞かせたほうがよいと述べている
Aはとてもつらいときなどには逃げてもよいと述べ、Bは悩みが解決できないなら逃げてもよいと述べている
Aはいつでも逃げるという選択をしたほうがよいと述べ、Bは逃げたくなったときこそ自分の将来をよく考えるとよいと述べている
Aは逃げたいという気持ちを持ってもよいと述べ、Bは逃げたいと思っている自分の気持ちをよく見つめた方がよいと述べている
これは僕の個人的な意見だが、「盗み」と無縁の幸せは存在しないと思う。ものづくりでも「悩み」はとても重要で、悩みをどう解決するか、どう昇華 (注1)させるかが、作った成果、物の存在感や主張に直結する。
その観点で言うと、最近の日本の製品には「悩み」が見えない。悩みに取り組まずに切り捨ててしまうからだと思う。日本人は「シンブル」に強いあこがれを持っているが、いつの頃からか「要素が少なくて単純なことがシンプルだ」という誤った思い込みを抱いてしまっている。だから重要なものを切り捨ててしまって平気なのだ。
そういう思いつきと勢いだけで作られた商品を「チューインガム商品」と僕は呼ぶ。作られたものが薄っぺらで、すぐに味がなくなって捨てられるからだ。
日本人の多くは「日本文化の神髄(注2)はシンプルさだ」と思っているようだが、僕は完全には同意できない。日本文化にはいろいろな相反(注3)する要素が複雑に絡みあって、それらを生かしたまま歴史の中で洗練された結果、一見シンプルに見えているだけなのだ。その深い部分を理解できずに、切り捨てて単純化したものを簡単に製品にしているから味が出てこない。
日本文化と同様に、切り捨てではなく洗練によってシンブルに見えるものは、ヨーロッパのブランド商品などにもよくある。内在していた相反する要素がうまく噛み合って(注4)いるから、シンプルに見えるだけなのだ。
要素が少なくて単純なものと、洗練によってシンプルに見えるものを比較すると,内包されている複雑さが全然違う。しかも後者には、作った人たちのいろいろな 悩みも見える。最初のうちはうまく隠されていて見えないが、使っているうちに「あ、こうやって悩んで、それでその結果こういう処理をして、それでこの製品ができてきたのか」ということがわかってくる。だから奥が深い商品が生まれ、使っていても色んな側面が次々と現れてくるので飽きが来ないのだ。
悩みを避けて切り捨てた「もの」や「ひと」には、そういう面白みが存在しない。
(奥山清行『ムーンショットデザイン幸福論』による)
(注1)昇華する:一段と高度なものにする
(注2) 神髄:中心となる本来の性質
(注3)相反する:互いに対立する
(注4) 噛み合う:ここでは、ぴったり合う
(71)ここでの重要なものとは何か。
悩み
思い込み
シンプルさ
強いあこがれ
(72)筆者は、日本文化をどのようなものだと考えているか。
単純に見えて実は複雑なもの
単純であるが飽きが来ないもの
要素が少なくシンプルなもの
洗練されていないが深い味があるもの
(73)ものづくりについて、筆者はどのようなことが必要だと言いたいのか。
できるだけ作り方を複雑にしていくこと
あまり悩まずにシンプルさを求めていくこと
深く考えながら対立する要素をうまく合わせていくこと
迷いながらも複雑に絡みあった要素をうまく切り捨てていくこと